今日は7月11日

Make My Day•*¨*•.¸¸♬︎

SWEET BLACK


風はぬるく巻き付き
その中を自転車で駆け抜けていく

夜働いていた人達が仕事を終えて
ふらふらと繰り出す街
こんな時間でも黒のスーツを着た男の人が
ふらふらと歩いている男の人に声をかける
たぶん夜ならギラギラしたライトに包まれているであろう店先は

朝は薄暗くもわっとそこにある

今から学校に行って
着席して全てが終わるのを待つだけの時間を過ごすのに
今からこの男の人は楽しい時間を過ごすのだろう

楽しいのだろうか

横目に見ながらペダルを踏み込む

学校まであと5分
目の前の踏切で足止めを食らう
遮断機はわたしの目の前に降りてきた

遮断機はこの時間はなかなか上がらない

『やばい遅刻だ』

隣で声がした
そうか
わたしはこのままでは遅刻してしまうのか
遅刻したことでぐだぐだ言われること
遅刻したことで書くものが増えること

一気にやる気が失せた
学校に行きたくない

『それなら一緒にやめようぜ』

そうだね
うん、やめよう

違う
一緒に?
やめようぜ?
誰だ?

その声に同調して
ハンドルの向きを変え学校に行くのをやめたら
それはそれでまためんどくさい事になる
行きたくはない
でも
めんどくさい事になるのは嫌だ

『そりゃそうだよな』

わたしの意図しないところで会話が成立している
心の中でブツブツ言ってるつもりだったけど
しっかりと声となって届いていたらしい

学校が終わり
朝の踏切と朝見た店の
その間にある喫茶店
この話を整理していた

人生で初めてのアイスコーヒー
そのまま飲んだら苦かった

たぶんこの小さな容器に入った透明なやつと
たぶん同じ容器に入ってる牛乳をいれたらいいんだろうけど

向かいに座る加藤くんはそのまま飲んでいた

だからわたしも真似をした
アイスコーヒーなんて飲んだことない
ほんとはバナナジュースにしたかったのに
自分の中の何かがアイスコーヒーを選んでいた

苦くないのだろうか
なんでこんなもの飲むんだろうか

たぶん顔に出ていたのだろう
向かいに座る加藤くんは笑いをこらえていた

『ガムシロ入れればいいのに』
『ミルクも入れたら甘くておいしいんじゃない?』

なんだろう
なんだか悔しい
そのまま何も入れずにそのまま飲み続ける
最後までずっと苦いままだった




風はほどよく冷たく
その中をポケットに手を入れ歩く

駅前は都市開発が進み懐かしい光景はない
それでも遮断機は相変わらずそこにあって
一度降りるとなかなか上がらない
朝と違って夜のこのへんは
色とりどりの明かりと大きな声とで
心地よくない活気がある

夜は気味悪く光がもわっとそこにある

『ブラックはあきらめたの?』
笑いながら近づいてきた声の主
この喫茶店も変わらずここにある

『いい劇場だわ 音響もいいし』
『客席のどこからでも視界がいいし』
『セットも思うように組めるし』

市長が言ってたな
すばらしい劇場ができたと
わたしには関係ない
関係ないけど
明日招待されている

笑いながら隣に座りホットコーヒーを注文した
ミルクの入った容器を自分の方に寄せる
出されたコーヒー
容器を手に取りミルクを注ぐ
続いて砂糖も入れる

そのまま飲むんじゃないの?
それに砂糖はミルクより先に入れた方がいい

『あぁそうか
真似してみたんだけどやったことないから』

また笑っている
真似してみたと言って笑っている
普段は間違いなくブラックコーヒーなのだろう

アイスかホットか違うだけで
変わっていない

変わったのは

主演、脚本なんてかっこいいね
よくわかんないけどすごいんでしょ
凱旋公演ってやつ?
すごいね

また笑う
『よくわかんないのかよ』

よくわからないけど
なんだか嬉しい
そして目の前のコーヒーは
ほどよく甘い

裸足の季節

小さい頃、目の前で友達が溺れた。

 

海が好きでよく連れていってくれた親は好きがこうじたのと当時持っていた若さゆえの勢いで海の近くに家を買い、そして今わたしたち家族はここに住んでいる。

海は見える。

前に建つ家とか木々の隙間から、少しだけ。

でも海までは近い。

 

トラウマなんてよくわからないけど、結局わたしはそれから海はもちろん水さえ怖くて立派な『海の近く在住のカナヅチ』となった。

・・・立派じゃないか。

 

高校は少し離れた隣の隣のさらに隣町にあって電車で通学。もちろん海からは離れている。離れていることを前提に選んだ。

近い学校だったら何かにつけて海に連れていかれる可能性がある。絶対に避けたい。

 

とはいえ残念ながら校内にプールがあった。体育の授業で使うためだ。

まあここまでは仕方あるまい、折れよう。

 

ところが、衝撃の事実が入学後の校内説明のオリエンテーションの中で耳に入る。

 

水球部があるんだー』

ふんふん、そうですか。

『ブールがそれようにいちばん深いとこで2メーター以上あるんだって!』

 

恐怖でしかない。わたしがすっぽり入るではないか。

決めた、もう絶対にプールに近づかない。

 

 

 

 

 

プールの授業は一学期の後半にある。

わたしは何かにつけて断固として入らず。

結果として3年間一学期の体育の評定は悪かった(これが推薦で足を引っ張る一因になるとは思わなかったけど)

 

とにかくプールの授業の度に体調を崩すか生理になり、保健室で寝るか草取りをするかだった。

もちろん事実では無いのでわたしは元気に保健室に入りびたるか草を取っていた。

たぶん3年間あのあたりの草は生えることなく綺麗だったことだろう。そして3年間保健室にいる先生やその他の人々と交流を深めることができた。

 

そんな『その他の人々』の一人が一学年下の加藤くんだった。わたしなんかとは違い賢そうだし、真面目そうだった。

わたしみたいな理由でいたわけではなさそうだった。単に体が弱いのかな・・・勝手にそう思っていた。

 

でも保健室に行けばかなりの高確率で加藤くんはいた。

今日もいた。

 

 

 

 

『その他の人々』は今日はいなくて、わたしと加藤くんだけだった。

加藤くんと今日はいっぱいしゃべった。でもどうして保健室にいることが多いのかは聞けなかった。なんでだろう。

その代わりに『海が見たいなぁ』という言葉が残った。海見たいの?うちから見えてるよ、見たくなくても見えるんだよ。

そしてわたしは海が水が嫌いだとは言えなかった。

 

 

 

しばらくして、加藤くんのリクエストに応えるようにわたしは自分の住む街に加藤くんを案内した。

高台にある小さな展望台なら海がよく見える。そこに加藤くんを連れていった。

『なんで海辺じゃないの?』

って笑われた。仕方ないのでそのあと海辺にも連れていった。

 

あまりにも長いこと海の近くには行かなかったためか久しぶりに行ったらあったはずのお店がなくなってオシャレなお店が増えていた。

確かに景色もいいし写真撮るのにもいいんだろうな。

わたしたちはコンビニでペットボトルを買って浜辺を歩いた。

 

海は自分から遠ざけて近寄らなかったけどいいものだな、なんてふと思いながら隣を歩く加藤くんを見た。

目を細めながら海を見ていた。

まつ毛が長いんだなと新たな発見を胸にしまい、実は海が好きではないということをやっと話した。

 

やっぱりまた笑っていた。

 

別れ際、次は秋の海がみたいなと言っていた加藤くんとは、その後会わなくなった。

 

二学期にはプールの授業がなくなるからだ。つまりわたしは保健室に行かない。お陰様で体は丈夫、お世話になることは本来はほぼない。

そしてわたしは加藤くんの言葉を忘れてしまっていた。

 

 

 

 

思い出した時にはもう冬だった。学年が違うというだけでこんなに会わないものなのかなと思いながら用もないのに保健室に行ってみた。

加藤くんはいなかった。

そして先生から話を聞いて、夏休みの間に加藤くんが別の学校へ編入したことを知った。

 

 

 

 

 

海は嫌いだ。

いい思い出なんて何もない。海の見える街に住んでることさえも嫌になる。

突然海に『嫌いだー!』って叫んでやろうという気になって一人で海に向かった。

 

冬の海だった。

なんでこんなに物悲しいんだろうと初めてそんな感じを肌で体で感じた。

こんな海も加藤くんと感じたかったなと改めて思った。

 

後悔しかないな。

連絡先も聞かなかったし、抱いていた疑問をぶつけることもしなかったし、何より約束を忘れていた自分に。

まさか居なくなるなんて思ってもみなかった。

 

 

 

 

寒い季節の風に晒されながら、日は経ち時は流れる。

電車に揺られるわたしは3年生になった。

その日は寝坊をしていつもよりも何本も遅い電車に乗ろうとしていた。

降りてくる人たちをぼんやり見送りながらふと遠くから視線を感じる。

 

 

 

 

わたしは海から離れ、加藤くんは海に近づいてきていた。

秋の海も冬の海も加藤くんは学校の行き帰りに一人で見ていたんだという。

でもわたしが海は好きじゃないと言っていたから会えないだろうなと思っていたらしい。

『さすがに毎日みてたら飽きたけどね』

毎日見てたんだ。そうなんだ・・・

 

春の海の優しさに押されるように加藤くんの腕を掴んだ。離したくないと思ったその手の上から優しい手を重ねてくれた。

 

『遅刻だけど学校行こう』

笑い合いながら今度こそ連絡先を交換して、わたしたちはそれぞれの場所へ向かった。

 

 

 

海は嫌い。

嫌いだけど嫌いだけじゃない場所。

終わらない歌

ここから離れること逃げることでわたしは生きていける。誰もいないところに行きたい、ただそれだけだった。

 

 

担任の先生の意見を振り切り、中学3年のわたしは同級生の誰も受験しない高校を受け、そして合格した。

4月になり、近所の人達が見たことのない制服を着たわたしをチラチラと見る朝。自転車に乗り最寄りの駅まで行き、定期を出し改札を通る。しばらくすれば電車が来て開いた扉から乗り込む。まだここには同級生の姿がある。

駅を過ぎる度にその姿は減り、周りには知り合いはいなくなる。

わたしの通う学校は駅から歩いて15分くらい。だけど、通学時間が長いことを理由に学校の許可を取ったので、駅そばの駐輪場に停めてある緑色の自転車に乗り学校へ向かう。

駅の周りには、大手企業が近くに多くあるためかなんていうかそんな働く人達に向けた(おそらくそんな人達が楽しめそうな)店が何軒もある。そのお店はだいたい朝から眠そうな顔した黒いスーツを着た若い男の人が入口の前に立っている。そういうお店はつまりそういうお店なんだって聞いたな、そう言えば。朝からいるのは夜間も交代で働く人もいるんだとかで、わたしはできれば昼間に働いて夕方になったら仕事終わって飲み会に行きたいかななんて思いながら自転車でそこを通り過ぎていく。

見慣れた門をくぐり自転車置き場へ向かう。毎朝同じことの繰り返しだから何も考えることなく気づけば教室。そしてわたしの学校生活は始まる。

 

 

あれは入学式の翌週だった。教室にはもちろん知ってる人なんて誰一人いない。さらに人見知りをこじらせていたわたしは何か起きることも無くただ授業を受けるだけ・・・のはずだった。

その日、わたしの机に何かが置かれた。顔を上げるとそこにいたのは加藤くんだった。そして置かれたのはMD。

『これ読んでおいて』

そう言って離れた自分の席に戻ってしまった。

・・・よんでおいて?

・・・きくじゃなくて?

・・・っていうかなに?

すぐに加藤くんは戻ってきた。

『読めないよねぇ』

苦笑いしながら机に置かれたMDの上に2つ折りにしたルーズリーフを置いた。そこに加藤くんがいる状態ですぐに目の前で読もうとしたけれどタイミングよく始業のチャイムが鳴る。

 

 

-御子柴さん好きだと思うから聴いて

 

 

MDを渡されてもわたしにはそれを聴く術がない。家に帰って物持ちがいいお姉ちゃんにMDを再生できるものがないか聞く。クローゼットから取り出したのはリスニング用に使っていたCDプレイヤーだった。『MDも聴けるから』と借りて自分の部屋に戻る。

ケースに挟まれたメモ用紙を開くと曲名がたくさん書いてあった。その一番最初に書いてあったのが "THE BLUE HEARTS" の文字。

・・・いや待って、わたしほとんど知らないんだけど

 

最初はあいうえお順というやつで席が決められていた。加藤くんは廊下側でわたしは窓側だった。席が遠い。いくら教室という空間が狭くてもそれでも "わざわざ" 来て声をかけておそらく自身で編集したであろうMDを届けに来た。なんのために?なぜブルーハーツなわけ?わたし好きなんて話したこと誰にもないし、そもそも好きとかいう部類でもない。

それでも

『好きだと思うから』

という一言とともに置いて去ってしまった。

さて、聴いたとして次はどうしたらいいのか?ちゃんと聴いて感想を伝えればいいのか?好きだと思うってどこからそんなことになるのか?ぐるぐるぐると巡らせながら曲は次へと続いていった。

 

『青空とかいいよねぇ』

『なかなかいいとこ突いてくるねぇ』

『加藤くんギター弾けたりするの?』

『うん、少しだけ』

『何か弾けないの?』

『そんな人に聞かせるほどじゃないよ』

『誰が聴かせてなんて言った?』

 

結局全曲聴き、いや、聴き込んで。すっかりお気に入りになってしまっていたわたしが渡した主である加藤くんとの話が尽きなくなるまでに時間はかからなかった。そして、わたしは音楽を自分からすすんで聴いたことがなかったことに気づいた。

加藤くんは不思議な人だった。そしておそらく頭がいい。たくさん話をしてくれたけど、わたしにはわからない話が多かった。もちろん適当に相槌を打つのは失礼だと思ったのでそこらへんのことは素直に伝えた。それでも加藤くんはどちらかと言えば難しい話をし続けてくれた。

わたしはいつの間にかその時間が好きになっていた。たぶん加藤くんはそれに気づいていた。そして変わらず色々な話をしてくれた。楽しそうな話す加藤くんの顔を見るのもまた楽しかった。

 

 

 

わたしはいつか聞こうとしていた。聞かなきゃいけないことだって思ってた。

 

-どうしてわたしに『好きだと思うから』って言ってきたの?

 

加藤くんはうーんと考えてから、わたしの顔をじっと見た。

御子柴さんは入学した時からずっと俯いてばかりだったよね。だからなんとかしてあげたいと思っちゃったんだ。音楽はそのきっかけにしただけだよ。理由は、わからない。

なぜかはわからないけど同じ空間に俯いてる人がいる。その人の顔を上げさせたい。そうしたい理由はわからない。

 

加藤くんは『なんだろうね・・・ちょっとヒーローぶりたかったのかな?』と笑いながら付け加えた。

わたしが俯いているのはなぜだろう。それがわかっていれば解決策を見出して、解決して顔上げてるよきっと。でもわたしは俯いてばかりいる。そんなわたしだからここに来たのかもしれない。

ポツリと聞かれた。

『御子柴さん中学どこ?遠くから通ってるって聞いたんだけど』

『同じ学校から来てるやついる?』

 

いないよ。いないんだよ。だから、、、

 

 

 

周りから付き合ってると誤解され、加藤くんもわたしも彼女彼氏いない歴を無駄にのばす高校生活になるわけだけど。でも高校1年の4月に突然加藤くんがわたしに好きな音楽を押し付けてきたことをきっかけに3年間2人で音楽の話をたくさんした。もちろん加藤くんは難しい話もよくしてきたし、たまに勉強とか3年生になってからは進路の話なんかもしたけれど、ほんとにたまに。

3年間楽しく過ごせたし、わたしはもう俯くことはなくなっていた。もちろんフレンドリーな性格になることはなかったけど、それでも楽しいことは楽しいと感じてその時その瞬間を楽しめるようになっていた。

 

加藤くんのおかげだよ。

 

卒業式の前日、相変わらず2人で喋っている時にそう伝えた。突然言葉だけを伝えたので加藤くんはキョトンとしていた。そりゃそうか。ざっくりとわたしの頭の中にある経緯を話した。

 

『じゃあ俺はヒーローぶってた、じゃなくてヒーローになれたのかな』

 

 

誰も知り合いのいない遠い高校にどうして入学してきたのかと聞かれたあの日、答えることができなくて代わりに涙を落としたわたしを、気づいた時には抱きしめてくれていた。何も言わずに痛いくらいに強い力で。ずっと理由もない孤独感をいだいていたわたしは周りを遮断すること周りから逃げることで凌いで生きてきた、そう思っていた。でも1歩踏み込んでくれる人逃げないように掴んでくれる人がいることを初めて実感できた。

 

-そうだよ、加藤くんはヒーローだよ

 

 

今も、あのときのわたしにしてくれたように加藤くんはヒーローでい続けてくれてるのかな。

そうであってほしいし、きっとそうだと思ってる。

 

 

 

ピンクグレープフルーツ

「ついつい俺も買っちゃうんだよね」

「このさ、噛むっていう行為が脳みそに刺激与える気がするんだけど、そうでもない?」

「・・・関係ないっしょ」




チャットの画面を開いて。打っては消して、消しては打って。こんなに無駄な時間はそれこそ勉強に充てたらいいのに。

きっと加藤くん・・・今チャットの画面にあるその名前の彼ならそう言う。言うに決まってる。わたしには、わかる。




加藤くんとは結局3年生になっても同じクラスになれなかった。3年間ずっと隣のクラスだった。

無理やり入った感があるこの地元で名の知れた進学校でわたしの成績はいつだって低空飛行。周りのみんなはどこそこの有名大学を目指していたけれどわたしは・・・無理。でもわたしにはなりたい職業があった。そのためには大学に行かなきなゃいけない。そしてそのためにこの学校を選んだ。


加藤くんは定期テストでいつも1位だった。特に国語なんてテストを作ったはずの先生が絶賛するような解答をして模範解答としてみんなに紹介するくらいに得意らしい。


逆にわたしは国語が苦手だった。主人公の気持ちを答えなさい?そんなの知らないよ。この部分はどこのことを指してるか?どこでもいいじゃん。

そりゃ成績が上がるはずがない。

その代わりにパシッと答えを導き出せる(と少なくともわたしは思っている)数学は得意だった。間違えた。数学だけは、できた。テストの結果として下位まですべての教科の点数を張り出すこの学校では匿名でもわたしの順位はみんなにバレる。総合で下位の中で一際目立つ数学の点数だけがいい奴、それがわたし。



いつも勉強は学校で友達と一緒にやっていた。塾やら予備校やらに行くことに抵抗しかなかったので、つまずくたびに先生を捕まえて質問攻めをしていた。あまりにもしつこかったのかある時先生はわたしたちに言った。

「加藤に教えてもらえ。あいつならちゃんと教えてくれるぞ」



面識のない隣のクラスの加藤くん。でもそういえば彼も学校で勉強していたっけ。職員室からの帰り隣のクラスを見ると加藤くんはいた。賢そうな横顔をみせつけて勉強していた。どうやって声をかける?迷惑じゃない?少し迷ったけど結局声をかけた。それから時々加藤くんに勉強、とりわけ国語を教えてもらうことになった。


なかなか理解できないわたし。それでも丁寧に教えてくれる加藤くん。でも彼だって自分の勉強をしなきゃいけないはず。時折遠慮して数日彼の元に行かないようにしたりもしたけどやっぱり教えてもらいに行く。

これが2年以上続いている。続いたのは初めの頃に加藤くんに気を遣って聞いた時の答えだった。

「加藤くんの勉強の時間奪ってるよね?」

うーんと天井を見上げてからこう言った。

「教えることがまた勉強になるんだよ。だから気にしなくていいし、断る時はちゃんと断るから」

確かにその後断られることもあった。「今日は無理」加藤くんはそのへん正直だった。



3年生になっても加藤くんは聞けば教えてくれた。先生よりもわかりやすいことも多くて本当に賢い人だと思った。

ある日、どうしても国語に対する苦手意識が取れないという話をしてみた。加藤くんみたいに国語が得意になりたいと言ってみた。

加藤くんは家に帰るとあまり勉強はしてないらしい。その代わりに本を読むんだそう。読書がやめられなくて、この時間を勉強に充てたらいいのかなと思うこともあるそうだ。いや、もうこれ以上勉強しなくてもいいよ。

そういえば加藤くんは将来何になりたいんだろう?聞いてみたところ、特に決めてないんだそう。大学に入ってから決めようかななんて言う。そこになんとなく唯一の隙を見つけてしまった気がした。



加藤くんはあまり流行りものには手を出さない感じの人だった。勝手にスマホとか持っていないと決めつけていた。

ある時グループチャットを作ったり誘われたりが繰り返される中で加藤くんもチャットをやっていることを知ってしまった。意外だと思いながらいつものように勉強を教えてもらったあとでそのことについて話した。その流れで加藤くんとチャットができないかと話を持っていった。

「わたしとチャット交換しない?」

「いいけど、条件がある」「チャットで勉強のことを聞かないという条件が守れるなら」


勉強を教えてもらう側教える側の関係しかなかったのもあってチャットをやり合うことはほとんどなかった。学校に行けば加藤くんはいる。加藤くんの元に行けば勉強を教えてもらえるししゃべることもできる。




打っては消して、消しては打って。わたしの頭の中は「0時ピッタリにおめでとうを送るなんてさ」という言葉がグルグル駆け巡っている。なぜなら彼はわたしにとってみれば勉強を教えてくれる先生みたいなもの。それしかない。それ以上のことはなかった。でも彼の誕生日を知ってしまったがためにチャットの画面を開き、あーでもないこーでもないと無駄に時間を過ごしている。

おめでとうを1番に送りたいと思ってしまう自分とそれをしたがために今の関係性に変化が起きてしまうのではないかと過剰に考え込む自分。葛藤。


でも電波時計の秒のカウントをみながら0時ピッタリに送信してしまった。既読が付くとかもう怖くてそのまま寝ることに決めた。


朝目覚めてチャットを開くと"既読"の小さな文字と斜め下にありがとうというスタンプが届いていた。そうだよわたしやっちゃったよ。午前零時におめでとうと少しのメッセージを送っちゃったよ・・・そう思いながら今日も学校へ行く。加藤くんのいるクラスの前を通って席に着きいつものように授業を受ける。そしてSTのあとに今日も加藤くんの元へ行く。相変わらずわかりやすい説明をしてくれる。一通り質問を終えて自分のクラスに戻る準備を始めた時にふと加藤くんに言われた。

「鴻上さんのチャットが1番だったよ。0時ピッタリはさすが数字オタクだと思ったよ」

笑っていた。っていうか数字オタクって何?確かにデザインを選ぶ時には数字が入ってるものを選びがちだけどさ、否めないけどさ。でもこの言葉でこれまでの関係性が崩れないことがわかってホッとした。




わたしは3年間低空飛行のままだったけれどそれでも自分の夢のためにと希望していた大学に進むことになった。加藤くんはやっぱりとしか言えないけど国内で1番と言われている大学に現役で受かった。それは合格の報告をするために会いに行った担任の先生から聞いた。先生は「さすが加藤だよなぁ」と言っていたしわたしもそう思った。


加藤くんとはセンター試験の数日前に教えてもらったのを最後にもう話すことはなかった。

加藤くんとはがんばろうねとかそういう話をしたのではなく、「そういえばさ」とわたしに聞いてきた。


「鴻上さんっていつもグミ食べてたでしょ?実際何味が好きとかあるの?」


なんとなく噛む行為が何かしらの刺激になるんじゃないかと思ってたどり着いたのがグミだった。その話をした時に加藤くんは「関係ないっしょ」と言って笑っていた。単純に好きなだけだったのかもしれない。それに対して何かしらの理由付けをしたかっただけなのかもしれない。


「好きなのはピンクグレープフルーツなんだけどあんまり売ってないから色んなのを食べてただけだよ。本当はピンクグレープフルーツだけでいいんだけどさ。ないからさ」

「グレープフルーツじゃなくてピンクグレープフルーツなわけ?あれでしょ、ピンクって付いたらなんとなく可愛い、みたいな」

「女子がピンクなら可愛いと思う生き物だって決めつけない方がいいよ。これからの加藤くんのために忠告しとくよ。・・・きっと世界で活躍するような人になると思うからさ」




加藤くんは東京に行く。その前の日に学校の門の前で会おうというチャットが届いた。先に待っていた加藤くんは制服を着ていた。中には入らないんだけど一応学校の前だかららしい。加藤くんらしい。

加藤くんは持っていたコンビニの袋から何かを出してわたしに差し出した。グミだった。ピンクグレープフルーツの。


「好きなんでしょ?」


ありがとうと言って受け取った。そのためだけに呼び出したの?まじか。



「わざわざ呼び出してまでピンクグレープフルーツのグミを渡したことで鴻上さんの脳に刷り込めたらなって思ったんだよ。これからもこれ食べた時に俺のことでも思い出してよ」




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あれ以来加藤くんとは会っていないし連絡も取っていない。

わたしは相変わらずグミを食べている。見つければピンクグレープフルーツ味を。加藤くんとのことをもちろん思い出すけれどそんなことをしなくても加藤くんの存在を感じることができる。そして今加藤くんがどうしているのかも知ることができる。



加藤くんは当時わたしに話したように大学に行ってから自分の進む道を決めた。

そして、わたしは、今。

加藤くんの名前が刻まれた小説を読みながらピンクグレープフルーツのグミを食べている。