裸足の季節
小さい頃、目の前で友達が溺れた。
海が好きでよく連れていってくれた親は好きがこうじたのと当時持っていた若さゆえの勢いで海の近くに家を買い、そして今わたしたち家族はここに住んでいる。
海は見える。
前に建つ家とか木々の隙間から、少しだけ。
でも海までは近い。
トラウマなんてよくわからないけど、結局わたしはそれから海はもちろん水さえ怖くて立派な『海の近く在住のカナヅチ』となった。
・・・立派じゃないか。
高校は少し離れた隣の隣のさらに隣町にあって電車で通学。もちろん海からは離れている。離れていることを前提に選んだ。
近い学校だったら何かにつけて海に連れていかれる可能性がある。絶対に避けたい。
とはいえ残念ながら校内にプールがあった。体育の授業で使うためだ。
まあここまでは仕方あるまい、折れよう。
ところが、衝撃の事実が入学後の校内説明のオリエンテーションの中で耳に入る。
『水球部があるんだー』
ふんふん、そうですか。
『ブールがそれようにいちばん深いとこで2メーター以上あるんだって!』
恐怖でしかない。わたしがすっぽり入るではないか。
決めた、もう絶対にプールに近づかない。
プールの授業は一学期の後半にある。
わたしは何かにつけて断固として入らず。
結果として3年間一学期の体育の評定は悪かった(これが推薦で足を引っ張る一因になるとは思わなかったけど)
とにかくプールの授業の度に体調を崩すか生理になり、保健室で寝るか草取りをするかだった。
もちろん事実では無いのでわたしは元気に保健室に入りびたるか草を取っていた。
たぶん3年間あのあたりの草は生えることなく綺麗だったことだろう。そして3年間保健室にいる先生やその他の人々と交流を深めることができた。
そんな『その他の人々』の一人が一学年下の加藤くんだった。わたしなんかとは違い賢そうだし、真面目そうだった。
わたしみたいな理由でいたわけではなさそうだった。単に体が弱いのかな・・・勝手にそう思っていた。
でも保健室に行けばかなりの高確率で加藤くんはいた。
今日もいた。
『その他の人々』は今日はいなくて、わたしと加藤くんだけだった。
加藤くんと今日はいっぱいしゃべった。でもどうして保健室にいることが多いのかは聞けなかった。なんでだろう。
その代わりに『海が見たいなぁ』という言葉が残った。海見たいの?うちから見えてるよ、見たくなくても見えるんだよ。
そしてわたしは海が水が嫌いだとは言えなかった。
しばらくして、加藤くんのリクエストに応えるようにわたしは自分の住む街に加藤くんを案内した。
高台にある小さな展望台なら海がよく見える。そこに加藤くんを連れていった。
『なんで海辺じゃないの?』
って笑われた。仕方ないのでそのあと海辺にも連れていった。
あまりにも長いこと海の近くには行かなかったためか久しぶりに行ったらあったはずのお店がなくなってオシャレなお店が増えていた。
確かに景色もいいし写真撮るのにもいいんだろうな。
わたしたちはコンビニでペットボトルを買って浜辺を歩いた。
海は自分から遠ざけて近寄らなかったけどいいものだな、なんてふと思いながら隣を歩く加藤くんを見た。
目を細めながら海を見ていた。
まつ毛が長いんだなと新たな発見を胸にしまい、実は海が好きではないということをやっと話した。
やっぱりまた笑っていた。
別れ際、次は秋の海がみたいなと言っていた加藤くんとは、その後会わなくなった。
二学期にはプールの授業がなくなるからだ。つまりわたしは保健室に行かない。お陰様で体は丈夫、お世話になることは本来はほぼない。
そしてわたしは加藤くんの言葉を忘れてしまっていた。
思い出した時にはもう冬だった。学年が違うというだけでこんなに会わないものなのかなと思いながら用もないのに保健室に行ってみた。
加藤くんはいなかった。
そして先生から話を聞いて、夏休みの間に加藤くんが別の学校へ編入したことを知った。
海は嫌いだ。
いい思い出なんて何もない。海の見える街に住んでることさえも嫌になる。
突然海に『嫌いだー!』って叫んでやろうという気になって一人で海に向かった。
冬の海だった。
なんでこんなに物悲しいんだろうと初めてそんな感じを肌で体で感じた。
こんな海も加藤くんと感じたかったなと改めて思った。
後悔しかないな。
連絡先も聞かなかったし、抱いていた疑問をぶつけることもしなかったし、何より約束を忘れていた自分に。
まさか居なくなるなんて思ってもみなかった。
寒い季節の風に晒されながら、日は経ち時は流れる。
電車に揺られるわたしは3年生になった。
その日は寝坊をしていつもよりも何本も遅い電車に乗ろうとしていた。
降りてくる人たちをぼんやり見送りながらふと遠くから視線を感じる。
わたしは海から離れ、加藤くんは海に近づいてきていた。
秋の海も冬の海も加藤くんは学校の行き帰りに一人で見ていたんだという。
でもわたしが海は好きじゃないと言っていたから会えないだろうなと思っていたらしい。
『さすがに毎日みてたら飽きたけどね』
毎日見てたんだ。そうなんだ・・・
春の海の優しさに押されるように加藤くんの腕を掴んだ。離したくないと思ったその手の上から優しい手を重ねてくれた。
『遅刻だけど学校行こう』
笑い合いながら今度こそ連絡先を交換して、わたしたちはそれぞれの場所へ向かった。
海は嫌い。
嫌いだけど嫌いだけじゃない場所。